
写真家のスタジオ付き住宅 群馬県 2017年9月竣工 → 現場記録
森のなかの木造建築。3枚の書き割りが木々の間に立つ。

エントランスからオフィスをみる。
住宅とアトリエという機能的な分割をせずに、立ち居振る舞いに応じた3つのエリアに分かれ、窓のあり方も異なる。

スタジオ。奥はキッチンスペースにつながる。
湾曲部分は曲げ集成材の土台と軒桁によって形成されている。

建築で切り取られた3つの庭は、樹種の違いが強調された庭になる

各ボリュームの先端は半屋外空間となっている。
サッシは全て木製サッシであり、気密性に考慮したディテールになっている(C値0.32)。

座るエリアの突きあたりはゲストルーム。床仕上げは畳。

ゲストルーム収納には洗面が仕込まれている。

バスルーム

エントランスを見返す。左は天窓室。




軒桁は水平で、棟木の高さが直線的に変化することで、屋根面は3次曲面となる。
3x6版の24mm合板が追従できる曲率に抑えつつ、空間の抑揚をもたらす形態を追求した。

木々のなかに滑り込ませた建築。周辺の樹種の違いを顕在化させる。
ボリュームを背割りする3枚の壁は、機能ではなく、所作に応じた空間に分節する。
設計:仲俊治・宇野悠里/仲建築設計スタジオ
構造:坪井宏嗣構造設計事務所 設備:庄司哲人
施工:株式会社丸山工務店
解説動画:AACA賞受賞サイト
移動と体験
「写真家のスタジオ付き住宅」は森の中に3方向に枝を伸ばすように拡がった平面形状をしている。既存の樹木を避けながら建てる、という制約のなかから生み出されたものだったが、3つの枝先の伸びる方位や樹種や地面の傾斜などから、それぞれの枝先が全く違った場所になるだろうということは、早い段階から想像することができた。
私たちにとっての大きな発見があったのは、枝先を繋ぐ経路を考え始めた時だった。3方向に伸びた平面形状は、樹木を避けて3枚の壁を森の中に建てることから始まった。その壁に沿った表と裏に、廊下状の厚みのない空間が展開する(樹木を避けるとどうしてもそうなる)。表と裏は壁に開口を開ければ一瞬で移動できるが、それはやめようと考えた。
一人の写真家が創作と生活の切れ目のない日常をこの建築の中で送る。緊張感をもって暮らしたい、というのが最初の一言であった。移動の経路を引き延ばし、その経路の中に変化のある空間体験を織り込むことによって、日常を豊かにすることができるのではないかと考えた。枝先から別の枝先へ、または、ある枝先の表から裏へ、どこに行くにも3方向の枝の交点である天窓室を経由しないと移動することができない。スタジオからオフィスへ、オフィスから寝室へ、いつでも天窓室を経由して歩き回ることになる。
天窓室に向かって3枚の壁は高くなっていく。一方で外壁は一定の高さで低く抑えられているので、天窓室に近づくと徐々に気積が大きくなり、大きな空間の中に包み込まれているような感覚をもつ。一方で枝先に向かう時は、天窓室近くでは頭上高くにあった登梁が移動するに従って徐々に視界に入ってきて、気積が小さくなっていき、そのまま外に押し出されていくような感覚をもつ。こういった感覚は、太陽の方向や外の明るさによって大きかったり小さかったりし、室内での移動体験でありながら、常に外部環境と自分が関係しているという感覚をもたらすことにも気づいた。
ここで発見したのは、流れ、体験、シークエンス、といった中に建築があるということの豊かさであった。
創作と共鳴
クライアントの数少ない要望のうちのひとつが「黒い壁」であった。人物が最も美しくみえるのが横からの光と黒い背景だという。設計段階から共に黒い壁を訪ね歩き、現場においては職人も加わって試行を重ねた。その他にも、スタジオの床や天井の塗装、家具や建具の素材や仕上、みえがかりとなるあらゆる金物類、それらひとつひとつを既製品から選ぶのではなく、オリジナルなものとしてつくりあげていった。
この共同作業の背景にあったのは、クライアントと私たちとの間にあった、空間への期待と共鳴であったと思う。創作への深い理解をもったクライアントが、私たちの提案を受け止めて咀嚼し反応を返す。この往還は常に緊張感を伴ったものであり、また幸福なものであった。クライアントは建物が竣工したその時から、まるで昔からそこに住んでいたかのように、新しいスタジオでの創作と生活をはじめ、訪れる人が皆驚いたという。
森の中での職と住
私たちは職と住を混ぜることによる空間や生活の豊かさを考えてきた。接点が増え、空間の意味が多重化する。グラデーショナルな距離感の調整が重要であり、建築が閉じずに社会と関係を持つ。一方で、社会的な意味での周辺環境から切り離された森の中で何を考えればよいのか、試行錯誤であった。
「光を追いかけていて一日が終わってしまうのが幸せ」とクライアントに言われた。その時、この建築は太陽や環境と呼応していて、「開かれている」のだということに気づき、ただ個人のための閉じた箱をつくったのではなかったのだということを自分たちなりに理解したように思う。